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2003年12月13日

割り箸

先日、割れてない割り箸を手に取った事を書いたが、この事実は事実として実に奥が深く、興味深い考察をおいらに与えてくれる。おいらは今までラーメン屋で割り箸を手に取る時、何も考えずパチンと割って食うという生活を続けてきた。しかし、割れてない割り箸との出会いがきっかけで、おいらの中では割り箸に対する見方、考え、愛情が大きく変化した。

工業的に考えると、割れていない箸が混入したということは、木材を割り箸の形に削る工程と、半分まで切り込みを入れる工程は別工程という事が推測される。木材を削った後、半分まで切り込みを入れるのだろう。

となると、なぜ割り箸というのは半分までしか切込みを入れないのだろうか。いや、割り箸はなぜ割り箸として存在するのだろうかという疑問にブチ当たる。家庭の箸は割れていない。2本一組で一膳ある。ではなぜ割り箸は半分まで切り込みが入っていて、『割って』使うのだろうか。ラーメン屋などでも家庭の箸のように箸入れに一本の箸をを大量に入れておき、2本取り出して使えば済む話だ。工業的にも割り箸を作るよりも、単なる同じ箸を大量に作るのだから安く簡単なはずだ。普段なにげに「パチン」と箸を割って使っているが、なぜわざわざ割り箸の形状に削りだし、「割る」という儀式が存在するのだろうか。箸を割るというのは我々日本の食文化には欠かせない行為だ。しかし「箸を割る」という慣用句や語呂は存在しない。すると、割り箸の歴史というのはそんなに長くはないのだろうかと推測される。気になってしかがた無いので調べてみる事にした。

調べたところ、割り箸というのは明治10年に奈良県吉野郡下市町において寺小屋教師の島本忠雄によって発明されたという事が分かった。江戸時代には割り箸は存在しなかったのだ。意外と歴史は浅いのだ。(そうか、以後、時代劇を見るときに割り箸が出ていたらエラーなのだな。)

『箸を割る』この何気ない動作は、これから食事を開始するときの明確なけじめとなっていることは間違いない事実だ。我々の目の前に食事が運ばれてくると、脳下垂体から唾液の分泌指令が行き届き、手に取った割り箸をパチンと割る行為によっていよいよ食物の摂取が始まるというわけだ。

箸を割る。気にも留めないが、誰もがこの瞬間を幸せな瞬間と感じていろだろう。そして、最初の疑問に戻るが、割り箸の最大の疑問は、なぜ割るのだろうか。ということだ。いろいろな説が考えられるだろうが、おいらの説では、これは箸が新品であることの証として現代に残っている儀式なのではないだろうか?一度割った箸は決して元の形に戻る事は無い。箸を割ることによって、無意識のうちに新品の箸を手にしているのだという安心感、贅沢感を得ているのではないだろうか。正月に使う、いや、それ以上の高級懐石に共されるどんなに立派な割り箸でも、一度しか使われず廃棄される運命にある割り箸は、食事の贅沢さと共にきれい好き日本人の感性と融合した日本の食文化そのものといっても過言ではないだろう。

注)そうは言うけど台湾でも食堂では割り箸だったなー。韓国でも割り箸だったケドさ。日本で発明され、世界に躍進した割り箸ということか。

↑台北市内の食堂の割り箸の写真(2002年)。奥に写っているのは岩崎

れーざーこーせん

今年もまた栄TV塔のコメカミにレーザー光線が突き刺さっている。

もし俺がTV塔だったらコメカミにレーザー光線打ち込まれて眉と眉の間がむず痒いだろうなぁとか思ったりするが、小粋でおしゃれな文章が思いつかない・・・